昨日、この夏に亡くなった親友Sの高校の先輩と言う方からコメントいただきました。

すごく嬉しい。

なのにコメントのことを奥さんに伝えようとする俺の声は上ずっていました。
たぶんまだ泣けるんだと思います。

誰かにSの話をしようとすると声が上ずってしまいます。

いつか慣れて来るのかもしれませんし、ずっとこのままかもしれません。

でも、良い機会なので話せないのなら書きたいと思います。

またSの知り合いの方がこのブログを見つけて、彼を懐かしんでくれるかもしれません。


俺とSとの出会いは剣道の道場でした。

道場と言っても当時の剣道の道場と言うのは自前で道場を持っているところはほとんどなく、小学校や中学校の体育館を夜間に借りて行うというものでした。

俺は2つ下の弟がいて、弟は小学校2年生から入門し俺が5年生で入門するころには、道場内には敵なし、市内でも互角に戦える人間はいないレベルにまでなっていました。
なので、俺はどちらかというと***(名字)君の兄ちゃんと呼ばれていました。同じ苗字なのにね。

道場自体は隣の学区だったので、同じ小学校から行っているのは、1学年上で主将になっているI君と弟だけなので、3人で防具を自転車に乗っけて夕方から数キロの隣の学区の中学校へ行き、夜九時に帰ってくるという生活でした。

当時の夜九時と言えばコンビニなどなく、人通りすらほとんどありません。

新興住宅地でしたが、街灯も無いところも多く、いつも心細かったです。
その中で一つ上ですごく強いI君が居ることが救いでした。

因みに剣道は技術習得に時間がかかり、ほとんどは小学校低学年から始めないと挽回できない武道です。
中学校から始めるとかは論外で、多くの人は小1から始めます。

弟が2年から初めてあっという間にトップになったのも驚かれた状態です。
それは彼の学校代表レベルの高い運動神経が可能にしたものだと思ってました。

俺はどちらかというと運動音痴と呼ばれていました。

もちろんI君も小1からやっていて、弟と同じように高い運動神経を持っている人でした。

俺は、そもそも剣道などやりたくなかったのですが、オヤジが九州男児は武道をやらなければいけないという考えだったので、少年野球をやりながら無理やり剣道もやらされている状態でした。

トップ選手に挟まれ、オヤジは星一徹張りになので、道場が無い日も毎朝毎晩練習をさせられ、夏休みの期間もI君が暇なのでオヤジに頼まれ小学校のグランドで1日いっぱいしごかれていました。

そんな環境だったので、俺はあっという間に運動音痴すら克服し、道場の新人戦で準優勝しました。
本当は優勝しなければならなかったので、どちらかというと近しい人間からはぼろくそでした(笑)

但し、道場内で3人は基本的にアウェーです。
俺以外の二人は実力があるし長いのでポジションを持っていますが、俺はアウェー感が強かったのです。
学区が違うこともありますが、実はもっと大きな理由がありました。

同学にはUという奴が居ました。
彼は、俺と同じ保育園出身者です。

俺は途中からその保育園に転園するのですが、その時Uは保育園の同クラスのドンです。
俺はいつも虐められていました。

そこへ弟が入園してきました。
一時期、両親が別居し弟と別々の暮らしをしていたことがあったので、弟と同じ保育園に逝けるようになったのはすごく嬉しかった。
しかしUが弟を虐め始めました。

俺は、ケンカに自信が無かったけど、弟を守らないといけないと思い、Uに殴りかかり、くんずほぐれつの末、相手を泣かすことができました。
弱虫だった俺の生まれて初めての勝利です。

周りの子たちの俺への扱いが一気に変わり、俺も自分に自信がついてドンの座につきました。
同時にUは孤立していきました。
今思えばまるで猿山ですね(^^;;

そんな保育園の生活は卒園まで続き、俺とUは別々の小学校に上がるということになります。

まだSは出てきませんが、実はこの保育園の前がSの実家で、既にそのころ面識があり、お互いに意識していたことは後で知ることになります。


Uとはそれ以来だったのですが、Uの学区にある道場はUにとってはホーム。
しかもUは1年から入門していて、ポジションは5年生でのI君のポジションです。
すなわち来年の主将筆頭候補です。
もともとケンカも強く、運動神経も良いのでそのポジションになるのは想像がつきます。

なので道場でも多くの周りのものを従えていました。

この時、Sはこの周りのものにいました。
後にSはそうじゃ無いと言っていましたが、俺の目にはそう映っていました。

Uは俺のことを面白く思いません。
道場でも俺に対して数々の嫌がらせを始めました。

しかし俺はすでに地元の小学校では悪ガキで通っていてケンカはかなり強いほうです。
まぁ、Uと喧嘩で勝って自信がついたおかげだっただと思います。

なのでいつもぶつかっていました。

もちろんUの取り巻きは全員敵だと思ってました。Sのこともね。

そこに変化が起きたのは、ある土曜日のことです。

当時週休二日ではなく、学校は土曜日はお昼までという制度でした。

飼育員をやっていたので、動物の世話をして家に帰ると、ウチに知らないおばさんが居ました。

当時、ウチは食料品店でした。
コンビニの無い時代なので、その走りみたいなものですが、味噌や漬物、乾物、総菜、日用食品などを扱っているお店でした。
その横で当時の花形職業であったタイピストの母親が店番をしながら和文タイプの講師をしたり、印刷屋さんから受注した仕事をこなす仕事場がありました。

そこでおばさんが、「こんにちは。Guu君。Sの母です。おばちゃんね、Guu君のファンなの」

人より出遅れて剣道を始めた俺は、周りに追いつくためにストイックでした。
かかり稽古と言って順番に先生たちと交戦する練習があるのですが、1度自分の順を終えるとみんな休みます。
俺は、終わってもまた並んで次々と練習を繰り返すということを続けてきました。
また、オヤジが怖かったので、礼儀も清掃も誰よりも率先してやっていました。
まーー、それが強くなる方法だとも本人も思ってましたけどね。

なので、大人ウケは良く、自分の息子よりGuu君の方を応援ちゃうのと言われることも多かったです。

Sのお母さんと言うことは、敵じゃやないか!
と思ったのだけど、まったくひねくれたところが無い俺は純粋に応援してくれる言葉が嬉しかったのを覚えている。

当時内職やら新聞配達やらやっていたSの母、仕事で我が家に来たようだが、どんな用事だったかは知らない。
たしか女の人なのにバイクを乗っていて凄いと思った気がする。

この日は土曜日なので、昼飯を食って近くの池に釣りに行こうと思っていたら、
Sの母は、今度Sに釣りを教えてくれないかと言ってきた。

何か理由を言っていた気がするけど、その理由は覚えていない。

Sの母のことは気に入ったので、Sのことは嫌いだが引き受けることにした。

翌週の土曜日、印旛沼というところに釣りに行くことにした。
SとSの舎弟である1学年下のKも来た。
そう言えば、このKは俺と同じ小学校だ。
同じ小学校からは俺と弟とI君の3人だけだと書いたが、彼は本来Sの学区なのになぜか俺と同じ小学校に来ていた。
理由は判らないけど大人の事情があったのだろう。

Kは体が大きく一学年下ではいわゆる番長肌だ。
まだ剣道を始める前だったが、俺と衝突して泣かしたことがある。
なんで敵ばかりにものを教えなきゃならんのだとは少し思った。
Sのやつ、俺をはめる気か?とも思った。
そう思うのは俺の別のエピソードの寄るところなんだけど、Sとは関係のない話なので今回は割愛。

印旛沼には、オヤジが車で連れて行ってくれた。

オヤジは釣りには全く興味が無い。
俺に釣りを教えてくれたのは、オフクロでオヤジはこういうのが苦手。
なので俺が剣道以外のことをやる事は気に入らない。
友達と遊ぶことも気に入らないので許してくれない。

でも、道場の友達と遊ぶのなら大歓迎と言う判りやすいスタイルだ。

なので、同じ道場のSとKが行くのなら釣りも反対しない。ウエルカムだ。

そんなわけで印旛沼に来たものの子供の陳腐な道具では、葦の深い本湖では釣りにならないので、周りを流れる川幅5~10メーターぐらいの用水路でクチボソを釣ることにした。

当時俺はクチボソの数釣りにハマっていたこともある。

エサは赤虫を使う。キジ(ミミズのこと)でもいいのだけど、なんか当時は赤虫がカッコイイと思っていた。

赤虫はユスリカという蚊の幼虫だ。
1日遊べる分が50円で釣具屋で買える。

Sは、気持ち悪い。
餌を付けてくれと偉そうに言ってきた。

なに!こいつ?馬鹿じゃねーの!

と思ったが、こんなところで2対1でケンカすると分が悪いと思って、1回だけだぞとつけてやる。

Kは一度俺に泣かされたことがあるせいか、素直に教えを乞う。

Sだけ、生意気だ。

上からの物言いは、最期まで変わらなかった。

そう。思い出せば、あいつは小さくて弱いくせにいつでも上からの物言いだった。

2人の面倒を見つ釣り始める。

あはははは

バカみたいに釣れる

入れ食いだ!

俺は友達の間では一番釣りが旨い。

当時、二人の方が剣道は強かったが、釣りなら負けない。

おもろい

俺の機嫌が良くなる。

Sは、糸が絡まったやら、エサがつけられないと文句を言う。

機嫌が良くなったので、今度は俺が偉そうに講釈しながら餌をつけてやる。

ほら、そこに入れてみろ!

合わせてみろ!

Sはナカナカ釣れない。

ざまーーと思った(^^;;

クチボソの中にタナゴが混じってきた。ヤリタナゴだ。

その中に腹が虹色の大型のタナゴが混じってきた。
始めて釣った魚だ。

キレイだ。

Sもようやく釣れる。

その虹色のタナゴだ。

Sは嬉しがる。

この日俺たちは総数で50匹ほど釣ったと思う。

Sは帰りの道中饒舌だった。

土曜日なので、俺たち3人は夕方から道場に行く。

道場で再会した時は、SはUとつるんでおらず、俺の元に来て「虹色のタナゴはタイリクバラタナゴって言うんだ。調べて来たよ。中国の魚らしいぜ」
今ではバラタナゴと交雑が心配される外来種だが、当時外国の魚と言うだけで俺たちの心はときめいた。

俺は、Uのところに行かなくていいのか?と訊くと「関係ないね。そんなことよりまた釣りに行こうぜ!」と興奮気味で話していた。

道場で孤立していた俺にできた初めての友達だった。




今回は、10歳のころの記憶をたどって書いてみたつもりだけど、立場違いや記憶の曖昧さで実際とは違っていることもあるかも知れません。

でも、俺の中ではこのように見えていました。

俺の目から見たSを見せないと、この後のSとのエピソードは判りづらいかもしれません。

暇を見てSとの思い出を書き綴りますが、興味のない方ごめんんさい m(__)m



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