本日は最強寒波到来しているらしいです。

午前9時だと言うのに外は氷点下。

大型冷凍庫の中にいるみたいな冷気に包まれています。

寒いの嫌いです。

なので、出勤まで家の中でゴロゴロ。

因みに昨日もゴロゴロしていたので、アップする記事がありませんでした(^^;;

と、言うことで本日もアップできるものがありません。

ど~~しようかなぁ~~と思っています(今現在)

ん~、Sのことでも書こうかな。

と、言うことであんまり興味が無い方は、この先は読まない方が良いかも。
俺の思い出話でしかないので。

前回は、Sとの出会いのことを書いたけど、今回はそのあとの話を書くことにします。


俺は11歳・・・いや、まだ10才だったかもしれない。
小学五年生。

Sとは時々、印旛沼へ小物(クチボソやタナゴ)を釣りに行っていました。
印旛沼へは電車を使った大遠征なので、土曜日に学校が終わってから近所の湿地へザリガニ釣りなんかも頻繁に行くようになっていました。

我が家は食料品やを営んでいたのですが、1階がお店。2回が二間の住まいという長屋のような構造でした。
たぶん当時はそういう店舗付き住居で数軒分繋がっているというものが多かったと思います。

まだ大型スーパーも少なく、商店街が機能していたころなので。

お店の裏は作業スペースや倉庫エリアとして使われていたのですが、商店街の人間が裏通路としても使っていました。

共有スペースなのに屋根作ったり、ベランダ作ったりやりたい放題で、今なら即立ち退けと言われるようなものだと思います。

オヤジはその中で親分肌で、かなり勝手なことをやっていた人だと思います。
隣のラーメン屋の裏で勝手に大型の犬小屋を作って秋田犬を飼ってみたりとか・・・。

子分のようにあごで使ったりとか。

それでもラーメン屋の主人(俺はマスターと呼んでいた)はオヤジやオフクロをずっと慕っていたし、お店を畳んで別の仕事を始めても、しょっちゅう我が家に遊びに来ていました。

たぶん家族みたいなもんだったと思います

マスターは、ラーメン屋を畳んでからは、薬物におぼれていたそうです。
その結果、交通事故を起こして脳を損傷し、ただでさえ少し頭が弱いところがあったのですが、色々記憶とかに障害が出ていました。
でも、俺を膝にのせて次来るときは玩具を買ってきたやるからなといつも言っていました。

まったく実行されなかったのですが、きっとお金が無かったのでしょう。
俺が玩具を買ってきてくれた?と訊くと悲しそうな顔をしていました。

そんなマスターのラーメンは、いつも不味かったです(^^;;

閉店の時に最期に作ってくれたラーメンは、初めて美味しいラーメンになり10歳に満たない俺は延びながら完食したのを覚えています。

ど、俺のとって年の離れたお兄ちゃんみたいなマスターが店を畳んでから、その居抜きを借りてまたまたラーメン屋を回転させたのが通称「おっちゃん」です。

おっちゃんは、ずんぐりむっくりでちょび髭、気の弱そうな人でした。
家族四人でそこへ引っ越してきてラーメン屋を始めました。

しかもこれも不味いと来やがる・・・・(^^;;

あまりにも不味いのでオヤジは勝手に店の前の一角に小屋を作って餃子やおでんを売り始めました。(恐ろしいですね)
オヤジは料理のセンスがあるらしく、それはかなり人気になりましたが、基本的に働くのが嫌いな人なのですぐに飽きて放置していました(^^;

そんなオヤジの悪行にも懲りず、おっちゃんもマスター同様に俺を可愛がってくれました。
因みに自分の子供よりも構ってくれているようでした(^^;

何故なら、おっちゃんは釣りが大好きで、翌日休みの日は夜釣りに毎週出かける釣りキチだからです。

釣りの話が大好きな俺とは気が合い、釣ってきた魚をよく調理してくれました。(ラーメンはまずいのに)

このころSは毎週俺の家に入り浸りです。
良く泊まったりもしていました。

俺たちが釣ってきたクチボソやタナゴをおっちゃんが日干しにしあとの唐揚げにしてくれるので、それをおやつにしていました。
ザリガニも茹でて尻尾だけ剥いて食べたりもしていました。

俺はいつもおっちゃんの厨房で遊んでいました。

おっちゃんの息子たちは、4,5歳年下なのですが、弟が欲しい俺の弟が面倒見ているような感じでした。

おっちゃんは大物が釣れるといつも得意げに見せてくれました。
その時、「夜釣り」という言葉を知ったのですが、俺をときめかせる魔法の言葉になりました。

夜釣りに行きたい。

しょっちゅう催促しました。

けど、オヤジが許さないと行けません

おっちゃんになんとかオヤジを口説き落としてもらって、行くことができました。

一晩やって釣れたのは大きなハゼのみです。
30センチ近くあった気がするのですが、本当にハゼだったのか、そもそも俺が釣ったのかも怪しい記憶です。

ただその話をSにすると、自分も行きたいからおっちゃんに頼んでくれと言ってきました。

おっちゃんは元来いい加減な性格なので、いいよと二つ返事。

その年の夏休みに俺とSはおっちゃんと3人で夜釣りに行くことになりました。

ターゲットは・・・・たぶんクロダイだったと思う。
当時の記憶を思い返せば、電気ウキを使ったクロダイ仕掛けだったように思う。
よくおっちゃんが釣ってきてたし・・・・。

俺とSは初めての夜の海。(俺は2回目だけど1回目は記憶があいまい)

たぶん浦安あたりの、今ではディズニーランドになっているあたりだと思う。

海面から堤防までは高く、後ろは埋め立てのあとに葦原が広がり、大型の鳥が営巣しているらしく時折不気味な鳴き声が聞こえる。

正直、ちょっと怖かったけど、興奮の方が大きかった。

で、釣りを始めたけど、一向に釣れない。

俺は、竿を置きっぱなしにしてSと遊び始めた。

Sは怪談話も良く知っていて、いろいろ俺を怖がらせるために海にまつわる怪談話をしていた。

それも飽きたのか、海面を懐中電灯で照らし始める。

そしてSは叫ぶ!「ガザミだ!」

ガザミ?

なんだそれ?

Sは堤防につているを梯子みたいなのを勝手に降りていく(この頃から危ない奴だった)

俺も負けじとばかりについていく。

ヘリのあっちこっちにカニがついている。

これがガザミらしい。

挟まれそうなので、たも網で掬おうとする。

Sは今にも落ちそうな体制でやっている。

抑えてろ!と上から命令口調だ。

弱いくせに。

で、ようやく1匹を捕まえる。

Sは、いろいろ下調べをしてきたらしい。
淡々とガザミの説明をする。

俺は面倒になって自分の竿に戻る。

Sは残ってほかにもガザミが居ないか探すという。

あぶねーぞ

と言っても聞かない。

そんな時に俺の竿に付けた鈴がなり始めた!

うほほほほ

飛んで竿のところに行く。

かかっている!

おっちゃんも駆けつけ、巻け!巻け!という。

俺の子供用のおもちゃ竿がぐんと曲がる。
バラすんじゃないかと不安がよぎる。

おっちゃんタッチ!

と、おっちゃんに竿を持たせて応援をも回る。

Sも堤防の上の興奮した声が聞こえたらしく上がってくる。

引き上がられたのは、大きなアナゴでした。

あとで魚拓を取るのに計測したところ46.5センチ。
今思えば、決して大きくないけど、子供から見たら大きな魚なので、Sと二人で大興奮。

この日は、3人で獲物はこの1匹。

俺は得意満面。

Sはガザミを5,6匹捕まえていたけど、持ち帰らずに逃がしていた。
この時からSは獲った物を食料として見ていないようだった。その傾向はずっと続く。

因みに俺の心の中では、俺の竿に掛かったけど、最期に引き上げたのはおっちゃんなので、ずっとわだかまりがある。
あれは俺が釣ったと言っても良いのだろうか?

この日、初めて海で朝を迎えるのだが、俺とSは興奮冷めやらずで、解散後再結集して印旛沼に流れ込む河川に初めての吸込み釣りに出かけることになる。
それは単にリール竿を始めて釣ったので、リールを使いたかっただけである。

子供なのに。。。寝ないまま。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自給自足生活へ←応援してくれる方はポチっとお願いします

人気ブログランキング←さらに余裕があればこちらもぽちっと